「うぅ・・痛・・」
頬を押さえながら、待合室に入った弥生は、中の光景に、足を止めた。
・・え・・もっと空いてるとこ、探せばよかった・・
想像していたよりも混み合っている様子に絶望的な気分になりながら、なんとかソファの空いているところを見つけて座る。
が、とにかく目についた歯科医院に入るしかなかった弥生に、そんな余裕はなかったのも事実である。それに今は学校が夏休みだ。他のところも混んでいるかもしれない。
以前から、ときどき痛むことのあった左上の奥歯は、昨日、仕事から帰って、職場で焼いた来月の新製品のパイの試作品の残り・・弥生はパティシェの修行中である・・を食べているときから、急に激しく痛み出した。少し固めの部分を噛んだときに欠けたのか、ぽっかりと歯に大きく穴が開いてしまっていた。
歯医者にはもう、10年以上も行っていない。小学校の時に治療した銀歯がたぶん1、2本あると思うし、他にも小さく治療した歯があるような気がするけれど、その後、特に行く必要がなかったのだ・・・少し前までは。
短大を卒業して、半年ほどOLをして、何か私のやりたいことと違う、と考えていたときに、パティシェが主人公のドラマを見て感動してしまい、弥生はこの道に入ったのだった。これほどの肉体労働だとは思ってもみなかったが、それはまあ、もともと体育会系の弥生には、大したことはなかった。
そして当然、今までよりも多くのお菓子を食べる生活になった。自分たちの作品、お店の残り、勉強のために休みの日には他のお店の食べ歩き、試作品・・・一日に口に入れたものがすべて甘いものということも、よくあった。幸い、あまり太らない体質の弥生は、同期や先輩の「また太っちゃった」という声を、少しの優越感とともに聞き流していられたが、2,3年経って、弥生は、思っても居なかったところから、その生活の影響を実感することになった。しみる歯があちこちに出来始めたのだ。「甘いものばかり食べていると、虫歯になりますよ」と小学生の時に習ったのは本当だった、と大人になって確認したわけだ。
しかしなんとなく、時間が取れないとか、どこの歯医者がいいかわからない、とか言い訳しているうちに、また時間は経ってしまい、しみる歯は、時々痛むようになってきた。歯医者さん、行かなきゃ、ホントに、と思っていた矢先、昨日のアクシデントだ。あまりの痛さに、仕事を休み、とにかく家から一番近い歯医者に駆け込んで、今こうして、待合室で頬を押さえているのであった。
「安藤さーん。急患でいらした、安藤弥生さーん。」
思ったよりも早く、名前が呼ばれ、弥生はよろよろと立ち上がった。
「すみません、この方、駆け込んで来られたので、ちょっと先に診察しますね、いいですか。」
衛生士が、常連さん・・とは言わないのだろうか、顔見知りらしい親子連れに声をかけて頭を下げている。弥生も、頬を押さえたまま軽く会釈・・した瞬間痛みが走り、大きく顔を歪めて呻き声を出してしまった。
子供の方が怯えたような顔になり、弥生は逃げるように、衛生士に付いて診察室へ向かった。
そのころ。診察室の中では、歯科医2年目の本田弘志が、カルテを手渡されていた。
「はいはい、急患さんね。痛くなってからじゃなくて、もっと早く来いっつーの、予定狂うから。」
受け取って目を通し、ふと本田は考え込んだ。
・・あ、25歳、俺と同じじゃん・・安藤、弥生・・?あれって、安藤弥生じゃなかったっけ?・・弥生は間違いないんだけどな・・
思い浮かべていたのは、小学校の同級生だった、弥生だ。女子の中ではダントツに可愛くて、実は本田も、ちょっと気にはなっていて、バレンタインデーにちょっと期待したり、弥生が「本田くんって、勉強できるからって感じ悪いよね」と友達に言っていると聞いて落ち込んだりしたものだった。
そんなわけで、診察室に入って来た「急患」がまさにその弥生で、今見ても十分可愛いのを見て、本田はちょっと、ニヤリとしたのだった。
・・歯が痛くて辛いのを治してくれた歯医者さん、ってことで、なんか起きたりしないかねえ。
弥生が治療台に座り、エプロンをかけられたのを見計らって、治療台に近付く。
「こんにちは、本田です。」
「・・よろしく、おねがいします」
弥生がこっちを見て、あら?と目を止めるであろうタイミングで、あれ、安藤さんだよね、と言おうと思っていた本田は、目が合っても何も思わなかったように、また頬を押さえて俯いてしまった弥生の様子に、声をかけるタイミングを完全に失った。
・・眼鏡かけたし、顔も小学生の時とは変わったし、気付かないのかもな・・ま、いいか、後で。
本田は、知らないふりで仕事を始めることにした。問診票で会話からだ。
「えっと、歯が痛む。」
「はい・・」
弥生が辛そうに頷く。
「はーん、かなり辛そうですねえ、でも、いきなりそんなに痛くなったわけじゃないでしょ?」
「はい・・ときどき・・痛いことも・・ありました。」
「その前にもしみるとか、あったでしょう。」
「・・はい・・あの、いろいろ、忙しくて・・」
「まあ、皆さんそう言われますけどね。ま、いいでしょう、とりあえず見ましょう。」
ウィーン、と、治療台が倒れて行く。久しぶりだ。
・・なんか、この歯医者さん、怖い・・
弥生は、かすかに不安を覚え始めた。そうは言っても、ここまで来てしまったら仕方がない。
治療台が倒れきると、本田と衛生士が一気に、ざっ、と距離を詰めてきて、弥生は思わず、ミニタオルを握りしめた。
本田はライトを点け、ミラーを構えて口を開いた。
「左上でしたね?」
弥生は黙って頷く。
「じゃ、お口開けてください。あー・・」
「あぁぁー」
言われるまま、声を出しながら、目をつぶって口を開けた。
・・う!
弥生が吐き出した声は、夏場なのでマスクをしていなかった本田の鼻を直撃した。
・・臭ぇっ!
思い切り顔をしかめた本田を見て、衛生士は気の毒そうに笑い、ポケットに入れていた予備のマスクを手渡した。本田は憮然とした表情でそれを受け取り、急いで着けると、弥生の口臭を放つ口の中を覗き込んだ。
・・うげ・・こんだけ虫歯がありゃ、臭いもするわな・・・・
誰も、この弥生の顔からこの歯は想像したくないだろうという、ひどい状態だ。
【 名 前 】:安藤 弥生
【 年 齢 】:25 歳
【 性 別 】:女性
【 職 業 】:パティシェの修行中
【 先生の希望 】:実は小学校の同級生だった
【 今日はどうされましたか?(複数選択) 】:
あちこちに
痛む歯がある(泣くほど・眠れないほど)
痛い歯がある(ときどき)
【 その他なんでも 】:
パティシェの修行中、常に甘いものを口に入れてる状態。おかげで歯は虫歯だらけのボロボロに。
小学校の時は可愛くて皆のアイドル。ちょっと感じ悪かったけどあこがれていた学級委員の本田くんが歯医者(怖い系)。弥生は本田くんだと気付かない。
本田君も弥生にはあこがれていたのに、弥生が口を開けたら虫歯がいっぱいで口臭もひどくて、ショックを受ける。
という感じでお願いします。
長くお願いできるなら・・怖かったのと、歯医者さんが本田くんだと治療後に知って、来るのをやめてしまい、また痛みが我慢出来なくなって・・とか読みたいです。
【 今の治療状況・その他(複数選択) 】:
銀で詰めた歯が1,2本
白い詰め物が1,2本
歯医者は10年ぶりです